シングルボーイ下位時代

しょっぱいドルヲタが細々と喋ります

推しメンが髪切ってメンブレしたヲタクの話(後編)

◆前回までのあらすじ

(間が空きすぎて前編の内容忘れちゃった方は先にこちらをどうぞ) 

 

推しは心の日曜日、この日は愉快な金曜日。

いつも通りカールおじさん並のアホ面で口半開きのまま推し箱「AIS(アイス)」のshowroomを見ていると、突如ダイターンに髪を切った推しメンが画面に現れ謎の動揺のまま寝込んでしまってさぁ大変な限界ヲタク不肖ゲバラことワタクシ。

www.youtube.com

 

 

 

他人事ならばどこまでも好き勝手言えるメンタル事故も、いざ自分の身に降りかかると何もできないのがヲタクの性。

 

某ワンダフルワールド入国の際に、糞事務所に謎の社民党カットを強いられたイメージフルーツ:グレープさんのヲタクの阿鼻叫喚ぶりが記憶に新しい。

 

弾ける若さはブドウ感。

やんなきゃよかった武〇館。かしこ。

 

◆3/17(土)

 

「今日が休みでよかった」

目覚めた直後にそう思った土曜の朝だった。

 

ぼんやりとした昨日の記憶にはまだ現実味がないながらも、幸運にもタイミングよく訪れた現場予定のないこの休日を使って、今の自分の素直な感情を整理しようと試みた。

 

◆この動揺は何なのか?

 

今思うとこの時の僕は、「なぜ今自分はこんなにモヤモヤしたまま気分が晴れないのか」について何ひとつ明確な回答を持ち合わせていなかった。

 

そもそも僕自身決して「ロング派」というわけではなかったし、「俺はコイツの長ェ髪が好きだったんだよ!」みたいなヤンキーチックなオラつき彼氏気質も微塵たりとも持ち合わせていない。

 

(じゃあなぜこんなに感情が不安定なまま堂々巡りを繰り返すのだろう?)とぼんやり考えていると、気付くと何もしないまま夜になっていた。

 

◆ひとまずの最適解

 

「知識や情報を手に入れやすい現代を生きる若者の弱点は、不安から思考ばかりを巡らせて行動を起こせない点だ」という指摘をかつて何かの本で読んだことがある。

 

 

なるほど確かにその通りだ。

頭でどれだけ考えたところで、いつの時代も事件とサークルモッシュは現場で起こるものである。

 

「足りない頭で変に悩むより、今は何も考えず直接本人に会いに行ってみよう」と、ひとまずの最適解にたどり着いたゲバラ

 

この日の翌日はちょうどAISのライブがあったので、(小難しいことを考えるのはいったん辞めて、頭カラッポのまま会いに行ってみよう)と考えた。

 

しかし、一つだけ大きな懸念があった。

 

◆二律背反

 

バカのくせに気取って難しい言葉を使って申し訳ない。

しかしこのパートは本当に僕の面倒臭さ爆発というか、謎持論のラッシュというか、とにかく全く小ボケを差し込む余裕も無いと思うのでそのつもりで読んで貰えたら幸いである。

 

いや、冷静に考えたらそもそも別にこんなブログを読む必要はないのだけれど、せっかくここまできたのだからよかったら地獄とピリオドの向こう側まで付き合ってくれたら更に幸いに思う。

 

話を戻そう。

髪を切った推しメン(※AISの橋本麗愛ちゃんのことです)との邂逅を翌日に控えた夜、僕の頭にはある大きな懸念が浮かんでいた。

 

「特典会で本人に『(この髪型)どうですか?』と聞かれたらどうしよう」

 

そう考えた瞬間、あることに気付いて頭を抱えてしまった。

僕の中で答えが見えなくなってしまったからだ。

 

というのも、この問いへの回答を想像した時に、自分の中にある2つの考えが正面衝突を起こしてしまった。

 

【その①】大好きな子に嘘をつきたくない

→そもそもの話として、『「かわいい」という言葉を何の考えも無しにリズムで使うようになったら終わり』というのが面倒な僕の自論の一つとしてあった。

 

おそらく現代で最も便利で、言えば全てを丸く収めてくれる魔法の言葉こと「かわいい」。

 

そんな「かわいい」を日常的に連発するドルヲタだからこそ『思考停止して単なるリズムだけで「かわいい」を言うようにはなりたくない』というある種の怖さのようなものを常々感じていたし、人の意見やその場の雰囲気に流されてではなく、ちゃんと自分の感性で判断した上で一回一回の「かわいい」を発信していきたいと思っていた。

 

今回のことでいうならば「年頃の美少女が意を決して長い髪を切ってボブにした」というシチュエーションだけで、端から見て既に「かわいい」と言ってしまいそうなものであるがゆえに、逆に僕はそこで条件反射的にリズムだけの「かわいい」を言うことに抵抗を覚えた。

 

他の子ならともかく、大好きな推しメン相手だからこそ、その場しのぎで軽く「かわいいよ」とか「似合ってるよ」なんて口が裂けても言いたくなかったのだ。

 

もし仮に麗愛ちゃん相手にそういった雑な褒め言葉を通してしまったら、今後の人生で自分が発する全ての「かわいいよ」と「似合ってる」が軽くなり、もう二度と自分で自分の言葉を信じることができなくなる気がして怖かった。

 

【その②】大好きな子を傷つけたくない

→ちょうど前日に上がったブログで本人も言っていたとおり、髪を切った推しメンに対して「かわいい」「似合ってる」以外の言葉を返す自分の姿が想像できなかった。

 

きっと問いかけた本人からすれば「即答で肯定する」以外の反応は全てNOと受け取るだろう。

 

勇気を出して髪を切って、ドキドキしながら自分のヲタクに感想を聞いたあげく、その反応が良くなかった時の推しメンの心情を想像すると、とても苦しくていたたまれなかった。

 

そんな風に推しメンを傷つけるようなヲタクは推しメンの前に一生現れないで欲しいし、そんな推しメンを傷つけるヲタクにこれから自分がなりかねないという事実がツラかった。

ameblo.jp

 

仮にどこかで素直に受け入れられない自分がいたとしても、笑顔で「かわいいよ」「似合ってるね」と嘘をつけるのが人並みの大人なのだろうな、ということは薄々自分でも分かっていた。

 

しかしそうしたセオリー通りの返答をする自分を頭でシュミレーションすればするほど、脳内にいる僕は推しメンの前で目を反らしたまま無言で硬直する以外の反応を取れずにいた。

 

麗愛ちゃんのことを大事に思っているように見せつつも、結局僕は小難しい理屈を振りかざしてただ自分を守りたいだけの子供でしかなかった。

 

◆ありふれた言葉

 

そんな事を考えながら、この夜僕はある曲を延々とループ再生して聞いていた。

 

 

 

www.youtube.com

ありふれた嘘でもいい

その優しさに涙が出そう

すべては手に入れられないけど

進んで、進んでいこう

 

同じイントロとアウトロを何度も通り過ぎながら「本当の優しさって何なんだろうな」みたいな事を考えていたら、いつのまにか眠りにつき、何の変哲もない朝が訪れた。

 

 

◆3/18(日)

翌日、髪を切った麗愛ちゃんをライブ会場で直接見た時、僕は反射的に泣きそうになった。

動揺を見抜かれたくなくて、ライブ中は近くに来ても目を反らしたし、特典会中は遠巻きに見ていたし、麗愛ちゃんがチラシ配りで歩き回っていた時などは意図的に避けるように距離を取った。

 

改めて我ながら最悪だったと思う。 

 

 

結局この日は特典会にも参加しなかった。

ただ、髪を切った麗愛ちゃんを直接見たことで、これまでに感じていた寂しさや悲しさの正体がぼんやりと分かった気がした。

 

◆寂しさの正体

 

思えば自分が知ってからの麗愛ちゃんは、ずっと髪が長かった。

 

跳ねて喜んでいる時も、下唇を噛んで悔しがっている時も、泣いて悲しんでいる時も、その表情はずっと長い髪の下にあった。

 

www.youtube.com


www.youtube.com

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

 

きっとそれを無意識に当たり前に思っていたからこそ、初めて髪を切った麗愛ちゃんを見た時、僕はそれまでの麗愛ちゃんとの時間が全部嘘だったんじゃないかと、不思議な悲しさを感じた。

 

当然、それまで行ったライブの感想ツイートや、各イベントで撮ったチェキも残っているので、それらの時間が確かにあったことについては今更疑いようがない。

 

それでもその所在が一瞬でも揺らいだように感じたのは、それらの時間が僕の中で、かけがえのない財産になっているからに違いなかった。

 

思えば麗愛ちゃんには色んな所に連れていって貰った。

元々インドア派なので、もし麗愛ちゃんに出会っていなければ行くことのなかったであろう街やライブハウス、降りることのなかったであろう駅がたくさんある。

 

広いステージや狭いステージ、混んでる日や空いてる日。

荒れたフロアや、逆に静か過ぎたフロア。

色んな会場でライブを見て、特典会に参加してきた。

 

「暑いね」

「寒いね」

「ブログ読んだよ」

「新衣装いいね」

 

色んな場所で数えきれないほどの話をしたけれど、不思議とその一つ一つが今でも鮮明に思い出せる。

 

会話が噛み合った日があれば、噛み合わなかった日もあったし、励ました日もあれば、逆に励まされた日もあった。

 

ただ一つ言えるのは、理由はどうあれ「今日麗愛ちゃんに会いに行ってよかったな」と思わなかった日は一日もなかったという事。

 

◆「変わっていく」ということ

 

そうした大切な思い出をたくさんくれた大好きな推しメンだからこそ、過去の思い出に浸ってこれからの変化を見ようとしないのはファンとして失礼だなと改めて感じたし、言い方を変えるなら、「そう感じることができた」のが嬉しかった。

 

思えば「人生において変わらないものなんてない」という事は、むしろドルヲタになってから強く意識するようになった。

 

好きだった人やグループが次々と表舞台を去り、自分の通う現場に新たに来てくれた人もいれば離れていった人もいたし、かく言う自分が離れる側になる事も数えきれない程あった。

 

時間が流れる限り、人は変わる。

 

そうして変わるのに伴って人の興味や好奇心も移っていくし、環境の変化で止む無く離れていってしまう気持ちもある。

 

だからこそ、今この瞬間に持続できている「好き」がどれだけ奇跡的なのかと改めて思う。

  

世の中に変わらないものなんてない。

むしろ、自分と推しメンの変化が同時に止まってしまった瞬間こそが、気持ちの離れるタイミングだとさえ思う。

 

変わっていく麗愛ちゃんを受け入れて、喜んであげられなかったのは、変われずにいる自分がその変化に取り残されつつあったからだとなんとなくわかった気がした。

 

本当に、何度鏡を見てもパッとしない平坦顔だったりとか、いつも開演時間ギリギリに着く無計画なとことか、大事なこと言うべき場面ほど照れ隠しでふざけたりとか…いつまで経っても変わらない自分のダサさにうんざりすることは多々あるけれど、変わっていく麗愛ちゃんの新しい良さを今後もたくさん見つけていけるように、ヲタクとして、僕もいい意味で少しずつでも変わっていきたいと改めて思うことができた。

 

(胸焼けする一人語りが続いたのでお口直しにベボベさん貼っときます)

www.youtube.com

「変わり続ける君を、変わらず見ていたいよ」

 

◆3/20(火)なんてったってハロプロライブvol.21

 

こうして感情の散らかり具合が酷かった土日を経て、翌々日の火曜日はAIS初のなんハロライブがあった。

 

 

色々情けなさ過ぎた一昨日の自分に若干のトラウマもありつつも、AISとしては珍しい平日現場ということで、仕事を終えて急ぎ足で秋葉原に駆け付けた。

 

色々思考が整理できたからか、この日は登場からリラックスしながら麗愛ちゃんを見続けることができた。

 

そして特典会。

ぼんやりしてたら券枯れちゃってたけど、ヲタ友さんのご厚意で一枚譲って頂き、なんとかお見送り会に行けることに。

 

 

そうして蓋を開けたら、一昨日が嘘だったかのようにいつも通り麗愛ちゃんと喋ることができた。

 

 「あ、この前の特典会なんで来なかったんですか!?」

『えーいやなんか初めて生でショートカットの麗愛ちゃん見たら可愛すぎて照れちゃってさーw』

「そんな適当な事言って!」

 『いや、ほんとほんとw』

 

みたいな会話をしたと思う(おぼろげな記憶)

 

ただ、この日言った「かわいい」が適当に言ったものじゃなかったことだけは、今でもはっきり覚えています。

 

ちなみに麗愛ちゃんの数人前にいた島崎友莉亜ちゃん(※)とは、

f:id:ChelGebara:20180403194300j:plain

「あ、麗愛のショートかわいいですよ?w」

『いやその話題はねwちょっと真面目になっちゃうからさw』

「ふふっ!(嘲笑)」

『はははw(あん?)』

 

という煽られ事案が発生しました(友莉亜ヲタク責任取ってください)

 

ともあれ、こうして時間を置いて改めて振り返ってみて思ったのは「ヲタク、マジで限界だなぁ」ということでしたw

 

まぁでも、よくも悪くも全く感情が揺らがなくなったらそれはそれでヲタクとして終わりだなーとも思うので、今後も適度なライトさで柳の葉のようにヲタ活できたらと思います(当時色々心配してくださった皆さん、ご迷惑おかけしました)

 

「都合がイイね」ボタン1000回押したい

 

今後も変わり続ける尊い推しメンに負けないよう、自身の変化や素直な興味関心の移ろいに正直に生きつつ、時には推し増しも辞さない覚悟でラフかつ決死かつユルくやっていきたいと思います。

 

ここまでヲタクの地獄ポエム(夏)に付き合ってくださった心優しい暇人の皆さん、マジさんきゅな。

 

それではまた拗らせた時に会いましょう。

お粗末!

 

 

 

 

ホンマそれな