シングルボーイ下位時代

しょっぱいドルヲタが細々と喋ります

ドルヲタにオススメの恋愛映画3本

はじめに

 

おいでませませ旅の方!

 

地獄めいたタイトルに物怖じせずよくぞ当記事の扉を叩いてくださいました!

 

多謝!そしてあけおめ!(遅)

 

まぁ年が変わっても相も変わらずのドルヲタブログなのですが、今日はいつもと趣向を変えて、個人的にオススメな映画を紹介していこうと思います。

 

そして今回のテーマはズバリ『ドルヲタに見て欲しい恋愛映画』です。

 

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※でもガチ恋はほどほどにね!!!

 

内容としては、推しメンへの熱い気持ちゆえ日頃割と思い悩みがちな『ドルヲタ』という生き物について、その悲しくも愛おしい苦悩の解決に役立つ(かもしれない?)3本の恋愛映画を紹介します。

 

構成としては、まず各映画のあらすじとオススメポイントを紹介、その後に各映画のネタバレありの僕の感想を書いていきます。

 

なので各々の興味の範囲で、各作品の鑑賞前/後に分けて気になった箇所を拾い読みしてもらえれば幸いです。

 

なお今回紹介する映画はそこそこの大きさのTSUTAYAに行けばどれも普通に見つけられますし、内2本はアマゾンプライムでも観ることができました(※2019年1月2日時点)ので、よければ見てみてください。

 

それでは前置きが長くなりましたが以下より始まります。

 

DD過ぎる貴方へ「脳内ポイズンベリー

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【あらすじ】

 

「優柔不断女、脳内会議、炸裂!」

 

何か決断に悩むとき、誰もが脳内で会議をしている。

 

主人公の櫻井いちこは30歳(無職)。ケータイ小説で小金を稼ぐ、めちゃくちゃ優柔不断な女性だ。優柔不断すぎて彼女の脳内会議はいつもドタバタなのだ。彼女が何かに悩むとき、理性の吉田、ポジティブ担当の石橋、ネガティヴ担当の池田、問題児ハトコ、書記の岸、5人のキャラクターが脳内で会議を執り行っている。

 

実年齢よりかなり若く見えるためか、彼女の周囲には絶えず男が寄ってくる。最初の出会いは飲み会で出会った年下男性・早乙女亮一(23)。美大出身で不思議な雰囲気を醸し出すアート系男子。次に出会ったのが出版社に勤務するエリート社員、越智。結婚するには丁度良い。この二人の間で、優柔不断ないちこの心は揺れまくる。揺れる度に行われる脳内会議・・・。しかし、脳内はどいつもこいつも曲者ばかりで、なかなか決断が出来ない。いちこの恋はいったいどうなってしまうのか。

(※引用元)

【ドルヲタ的おすすめポイント】

 

これはズバリ「DD過ぎるアナタ!!!!」に見て欲しい映画です(自戒を込めて)

 

というのも、本作のストーリー展開は主人公の”櫻井いちこ(真木よう子)”が、”アート系イケメンフリーター早乙女(古川雄輝)”と、”穏やかな平凡リーマン越智さん(成河)”との間で揺れ動くところがメインになるのですが、僕はこの構図を「推しメンを2人から先に絞れないDDヲタク」に重ねて見てしまいました。

 

更に状況を具体的に言うと、主人公のいちこは童顔で年齢より若く見えるものの「30歳かつフリーター」という我が身を気にしており、現実的なことを考えれば「アートで成功する」といういつ叶うか分からない夢を追いかけるイケメンフリーターの早乙女よりも、地に足のついた社会人であり、気遣いもできて真面目な越智さんの方が今後のパートナーとしては絶対的に「正解」の選択肢に見えてしまう、という流れです。

 

しかし、一緒にいる時にトキメキを感じさせてくれるのはやはりどう考えても早乙女で…というなんとも「さんかっけー」な話でございます。

 

たしかに同じくらい好きな推しメンがそれぞれ別のグループに1人ずついる状況を考えると、「同じ日の同じ時間にイベ被りした際にどちらに会いに行くか問題」って、端から見ると一見下らないようで実はヲタクにとっては結構深刻な悩みだと思うんです。

 

というのも、その選択は単純な両推しメンへの好き度合いだけでなく、各会場への距離、各現場での知り合いとの人間関係、それぞれのレギュレーション(所要金額)…など、単純な二者択一に見えて実は幾重にも複雑な要素が絡まり合った末に選択を強いられる難解な2択であることに気付かされるからです。

 

そんな時ヲタクも本作の主人公・いちこのように"脳内会議"をすると思うんですが、その際に自分の中での『絶対的結論』とまではいかなくても、”自分が後悔しない選択を導き出すためのヒント”が、この作品には込められているように感じました。 

 

行くかどうか迷っているうちに前売予約が終わっていて、無駄に当日券の割増料金を払う事が多かったり、どのメンバーのチェキから撮るか悩んでいるうちに推しメンの列を切られてしまうことが多い…などなど、単なるDD問題を超えて優柔不断で損をしやすい全ヲタクに見て欲しい映画です。 

 

 

『カワイイ』の意味って何?「おんなのこきらい」

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【あらすじ】

 

「”カワイイこと”が生きてる意味」

 

カワイイことだけが取り柄のOLキリコ(森川葵)はカワイイ食べ物を過剰摂取しては吐く、過食症の女の子。男にはチヤホヤされるが、女には嫌われている。だが「女の子の価値は可愛い事が全て」と信じて疑わないキリコに怖いものはない。

 

そんなキリコには好きな人・バーで働くユウトがいる。ユウトとは友達以上・恋人未満の煮え切らない関係が続いていた。ある日、仕事でアクセサリー作家のコウタと出会うキリコ。いつも通り、媚びを売って仕事を得ようとするキリコのことをお見通しのコウタ。最初は険悪だったキリコとコウタだったが、次第に本音をさらけ出せるような友達になっていく。一方、ユウトの働くバーに新しく来たバイトのサヤカ。始めて会った時から、キリコはサヤカのことが気に入らない。ユウトともぎこちない空気が流れ始めていた。そんな時、バーで働いていたケンジから「サヤカがユウトさんと付き合っていると言っている」と聞かされる。キリコは自尊心を傷つけられ、怒りと悔しさはついに爆発。そんな最悪の時に、駆けつけてくれたのはコウタだった。コウタの飾らない優しさに触れ、自分を取り戻していくキリコ。今度こそ、本当の幸せを掴みに行こうとするが…。

(※引用元)

【ドルヲタ的おすすめポイント】

この映画はまずとにかく森川葵が終始カワイイんですが、その「カワイイ」という事こそが一貫したテーマになっている作品です。

 

というのも、この映画は前半と後半で主人公のキリコ(森川葵)”カワイイのニュアンス”が180度変わるんです。

 

その変化についてはぜひ本編を見て欲しいんですが、それに関して一度ここで考えてみて欲しいのが、改めて『カワイイ』って深いな、という事です。

 

 

アイドルにすぐ『カワイイ!』を連発してしまう人へ 

 

男の僕の目線から見て、少なくとも男の思う『カッコよくなりたい』という感情は、その大部分が「異性にモテたい」からくるものだと思います。

 

対して女子の思う『可愛くなりたい』という感情は、同じく大部分が男同様に『異性にモテたい』という理由からくるものかと考えると、決してそうじゃない気がします。

 

よく女子の服装を見た無神経な男が「それ男ウケ悪いよ」と言って、『別に男にウケるために服選んでるワケじゃないから!』とキレられるみたいな話がありますが、それっておそらく「可愛くなりたい」と思う女子1人1人に『理想とする自分像』があるからではないでしょうか。

 

考えてみれば、単純に男よりも服装や髪型のパターンが圧倒的に多い女子にとっては、「カワイイ」へのアプローチも多種多様です。

 

 その分「カワイイ」をどう捉えるかも1人1人違います。

 

”何のために”、”どうやって”、”どのように”可愛くなりたいかは、当然ですが1人1人違います。

 

ここで話を戻すと、先ほど言った通りこの映画は話の前半と後半で主人公キリコの『カワイイのニュアンス』が変わるんですが、それはなぜかというと『何のために可愛くなりたいか』という目的の部分が大きく変わったからです。

 

それによってどんな変化が起きたかは重ね重ねですが本編を見てもらうとして、普段口を開けばアイドルに「カワイイ!」ばかり言ってるヲタクの皆さんには、自分がその子の『何』を『どう』可愛いと思ったのかについて、一度真剣に考えてみて欲しいと思います。

 

そうして自分が現状のその子の『何を可愛いと思っているのか』、そして今後その子が『どう可愛くなりたいのか』について思いを巡らせる発想があれば、推しメンの細かな変化に気づけたり、本人が努力している部分をより見つけてあげることができたりと、口にする褒め言葉の厚みと信頼度が上がるのではないでしょうか。

 

と、ここまで偉そうなこと言ってきた僕も、いざ特典会で推しメンを目の前にすると「〇〇ちゃんカワイイ~♡」ばかりを連発しまうダメ野郎なので、そういった自戒も込めてここまでの文章を書きましたw

 

とにかく!!!

 

たった4文字で全てを丸く収める『カワイイ』というマジックワードに頼り過ぎず、1人1人個性ある魅力的な推しメンに対しては、同じく1人1人への特別な『カワイイ!』という気持ちを誠心誠意伝えていきたいですね。

 

 

そんなこんなで、推しメンに対して簡単に「カワイイ!」と連発してしまうヲタクにこそ見て欲しい一本です。

 

 

誰かの特別になるということ「空気人形」

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【あらすじ】

 

「心を持ったラブドール

 

 ビルや住宅が立ち並ぶ都会の、古びたアパートに住む中年男性である「秀雄」は、仕事から帰宅するとラブドールの「のぞみ」に話しかけ、食卓や入浴を共にし、性交し、朝が来る。ある日、秀雄が朝に仕事へ出ると、ベッドに残されたのぞみの手足が動き出す。ベッドから出たのぞみは自ら窓の外へ手を伸ばし、落ちてきたしずくを見て「キレイ」とつぶやいた。 

裸だったのぞみは部屋にある様々な服を試着し、選んだメイド服を着て外へ出る。少しぎこちない動作で外へ出る。のぞみにとっては見えるもの聞こえるものが全て新鮮だった。ゴミ集積所を不思議がったり、警察官ととりとめのない話をしに交番へ向かう未亡人の後をついていったり。そして入ったレンタルビデオ店で、店員の純一に恋をする。

(引用元)

 

【ドルヲタ的おすすめポイント】

 

主人公の「のぞみ」がラブドールであるという、一見やや危ないようにも感じる設定がキモのこの作品ですが、内容としては美しい映像がふんだんに散りばめられた綺麗な映画なので安心してください。(しかしちょいちょい性的なシーンがあるので、苦手な方はご遠慮ください。ちなみにR-15です。)

 

そして僕がこの作品を見て思ったのは『自分がいま応援している推しメンは、いつ、何がキッカケで自分の特別になったんだっけ?』ということです。

 

というのも、この作品はある日突然心を持った空気人形の「のぞみ」が、恋の幸せを知ってしだいに人間らしさを獲得していきながらも『代用品である』という人形としての宿命の虚しさを感じ、決して手に入らない「誰かにとっての特別になる感覚」に想いを馳せながら進んでいきます。

 

そうして「のぞみ」はどんなに願っても代用品にしかなれない自分を哀れみながら、「きっと人間は自分と違い、誰もが誰かの特別になれるのだろう」と思いながら外の世界を見回してみるものの、どうやらそんなこともなく、誰もが「誰かの特別になりたい」と願い、もがいているように見えていきます。

  

そんな本作のストーリーに重ねながら思ったのは、人が誰かの特別になることや特別になろうとする気持ちは、そのままドルヲタの発想に変換できるのではないか、ということです。

 

「世の中に数えきれない程のアイドルがいる中、なぜ自分は今の推しメンを選び、特別に好きになり、応援しようと決めたのか?」

 

そんなドルヲタとしての初心であり原点ともいえる問いについて、改めて考えてみたい方にこそ見て欲しい作品です。

 

途中休憩

 

はいっ!

 

作品の紹介は以上となります。

 

続いては各作品への僕の感想を書いていきます。

 

普通にネタバレ込みで書くので、未視聴で気になった作品があった方は事前に本編を見てから読むことをオススメします。

 

それでは以下より始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ感想「脳内ポイズンベリー

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まずつくづく自分とは無縁な恋愛映画をこうしてたま~に見る度に思うのは、「男マジ最悪ゥ~w」ってことですw

 

基本、少女漫画は主人公のヒロイン目線で描かれる話なので、ストーリーの演出上、登場人物の男が無神経な言動を起こすことがよくあると思うのですが、そのたびに僕の心に住む女子の人格が「も~、だから男ってサイアクゥ~(ブス声)」とブチ切れる声が聞こえましたw

 

ただ、きっと自分もこういう作品に出てくる無神経男と同じような事を普段気付かずやっているのだろうなと自戒を込めて思いつつ、フィクションといえど、そういう端から見て好ましくない行動をこうして客観的に見る機会を持つのは大事だなと改めて感じます。

 

で!!!話を戻してこの作品への感想なんですが、まず上記紹介欄で僕が言った「自分が後悔しない選択を導き出すためのヒント」について触れておくと、先ほど貼った予告編動画で吉田役の西島秀俊が言っていたあるセリフがそのままその問いへの答えであり、かつこの作品の核となるメッセージであると思います。

 

 

そのセリフとは、

 

『大事なのは「誰を好きか」じゃない、「誰と一緒にいる自分を好きか」ということだ』

 

という一言です。

 

これをアイドルヲタクに変換すると、『大事なのは「誰を推すか」じゃない、「誰を応援してる時の自分を推したいか」だ』という事になるかと思います。

 

つまり『応援することでより自分のことを好きになれる相手こそ、自分が真に応援すべき推しメン』ということになるのではないでしょうか。

 

少し話題を変えます。

 

僕は普段「敬意を含まない好意は自己満足で薄っぺらい」と思っているのですが、その分、ヲタクから推しメンへの純粋な「好き」という感情の中には「あなたのようになりたい」という「尊敬」の要素も少なからず入っていると感じます。 

 

グループ(もしくはソロ)という環境の中で、個人としての推しメンがどういう特性や個性をどう生かし、どう伸ばし、どう周囲に影響を与えていくのかを見ながら、ヲタクはその過程を無意識に「なりたい自分像」に重ねている気がします。

 

そんな、半ば「理想とする自分」の投影ともいえる推しメンだからこそ、その姿や成長を見て心震え、どんどん推しメンを好きになっていくのに平行して、それを応援している自分自身をも好きにさせてくれる相手こそ、他でもない自分が真に大切にすべき推しメンだと思います。

 

さて、再び話を作品の感想に戻すと、主人公のいちこが早乙女をフる結末について、僕はこれをハッピーエンドだと思いました。

 

きっと早乙女がもう少し人生経験を積んだ大人で、越智さんとのいざこざや自分の過去をちゃんと精算できていたらいちことの関係性も変わったのかもしれませんが、少なくとも本作品の状況における2人は一緒にいることで互いを傷つけてしまうばかりに感じたので、2人が再度自分を見つめ直し成長できた契機としてこの破局を受け入れ、納得して終止符を打つことができたと考えれば、それに費やした時間は充分に有意義なものだったと感じます。

 

ちなみに映画は早乙女と別れた後のいちこに新たな恋の気配を感じさせながら終わりましたが、原作である漫画版を読んでみたところ、その結末は全く違ったものでした。

 

それについてここでは言及しませんが、各キャラの実写版キャストとのイメージもピッタリで全6巻と比較的読みやすいボリュームだったので、気になった方は是非読んでみてください。

 

あともう一つだけ言うと、僕は人間の性格を単なる「考え方のクセ」だと思っているので、0か100かで「あの人はポジティブで明るい」「あの人はネガティブで暗い」と線を引かず、どんな人でもこの作品のように色んな自分が脳内会議をしているのだと考えると、一見して全く自分とタイプの違う相手でも、ある程度親近感を持って接することができるようになると感じました。

 

まぁヲタクに関して言えば極端にポジティブすぎたり、逆にネガティブすぎても色々拗らせますからねw

 

そのためちょうどいいバランスを考えつつ、ポジティブな自分もネガティブな自分も受け入れて、更に冷静な自分も子供っぽい自分も、その全部があって内面で作用し合っているからこそ今の自分が成り立っているんだと思えば、どうしようもないところも含めて前より自分を少しだけ好きになれる気がします。

 

そうして自分を好きになることで、更に広い視野で人を好きになることができるのではないでしょうか。

 

本作を見て、改めてそんなことを考えさせられました。

 

 

 

ネタバレ感想「おんなのこきらい」

 

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この映画についてはクライマックスの公園のシーンがとにかく辛くて、一生忘れない自信があります。

 

先述した「可愛さ」という大テーマについては、物語序盤におけるメイクから言動まで完璧に自身の理想像を体現できていた頃のキリコより、中~終盤にかけてのバーでキレて感情的になる所とか、心配して家に来てくれたコウタの前で吐いちゃう所とか、それを助けられたことに悔しさの反面嬉しさを感じて、グチャグチャの状態でも無邪気に笑っちゃう所とか、髪を切ってもらって嬉しそうな所とか…そういうカッコ悪い所を含めた人間としての総合的な可愛さが、前半の作り物のような無機質で冷たい可愛さと見事に対照的に描かれていて、その変化に強く惹かれました。

 

そしてなにより、最後の鍋のシーンでキリコが走り去った後のコウタと奥さんとの「いいの?追いかけてあげなくて」→『なんでそういうこと言うの?』→「女だから」というやりとりが本当に大好きで印象に残っています。

 

奥さんとしては旦那のコウタをキリコに奪われるかもしれないにもかかわらず追いかけるよう促したことに、コウタへの絶対的な信頼を感じさせるし、最後に言った「女だから」という一言から、「コウタの妻」という立場ではなく、「一人の女」として今のキリコを思いやった事が分かります。

 

そこからのあの公園のシーン。

砂場に座り込んで服も汚れ、涙で顔もグチャグチャのキリコだったものの、その姿はこれまでのどのシーンよりもカワイイと感じました。

 

そういう「カッコ悪い所も含めた女子の可愛さ」をこの作品は本当に丁寧に描いていて、鑑賞前と後で僕の中での「カワイイ」の定義がより深く、広く更新されたような気がしました。

 

またユウトを奪った嫌な女・サヤカは可愛くあることに闇雲に固執していた頃のキリコの投影で、そんなサヤカを初対面時から嫌っていた事が、誰よりキリコ自身が「周囲から可愛く見られるために嘘の自分を演じること」に無意識下に息苦しさを感じていたことの証明なんじゃないかな、とも思いました。

 

基本「カワイイ」に関しては女はプロで男はズブの素人かつ観客みたいなもんだと思うので、受け手の感性の乏しさで発信側の表現の幅が狭まらないよう、世の中には色んな種類の「カワイイ」があるという事を忘れないようにしたいです。

 

時代的な話をすると、SNSの興隆に伴って男側が理解・許容できない女の言動を思考停止で区分けするための「メンヘラ」みたいな乱暴な線引きの言葉を聞く機会も多くなったように感じますが、仮に100%を理解することが不可能だとしても、理解しようと歩み寄って40%、50%…と少しずつ共感していくことはできるのではないかと思います。

 

基本生きている人間な時点で老若男女すべてが大なり小なり何かしらの「面倒くさい部分」を持っていると思うので、そのマイナス面だけを見て「厄介だ」と思考停止で遠ざける事をせず、「その面倒臭さこそ個性」と考えることができれば、もっと相互に分かり合って好きになることができるのだと思います。

 

そしてだからこそ、たった一人の推しメンに対しては長所も短所も面倒臭いところもトータルの個性として見て、今後も決して使い回しじゃない特別な「カワイイ」を伝えていきたいですね。

 

改めてそんなことを考えさせられた良い映画でした。

 

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ネタバレ感想「空気人形」

 

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この作品についてはまず「良作だ!」という他にいくつか言いたい事があるのですが、そのうちまず一つが「のぞみ」の持ち主であった「秀雄」についてです。

 

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秀雄は「普段ファミレスで働く冴えないおじさん」という役どころなんですが、まずこの秀雄を演じる板尾創路さんのハマりっぷりが凄いですよね。

 

独り身の秀雄は仕事で歳下の上司から日々罵声を浴びせられるような苦い生活を送りながらも、私生活では一緒に暮らす空気人形の「のぞみ」と寝食を共にし、洋服を買い与え、夜な夜な愛を囁くという溺愛っぷりが悲しくも愛おしい、憎めないキャラクターだと思います。

 

しかし物語後半、「のぞみ」が物置に隠れて姿を見せないでいると、新たな空気人形を買ってきて、かつて「のぞみ」にしたのと同じように愛を語りかけます。

 

更にその不倫?現場を心を持った「のぞみ」に目撃された秀雄は、事もあろうに「元の人形に戻ってくれ」と言います。

 

しかもその理由は「心ある人間とのつながりが面倒だから」というもの。

 

僕も最初にこのセリフを聞いた時は反射的に「酷い」と思ったものの、よくよく考えるとその胸中も察することができるように思いました。

 

つまり秀雄は自分が心ある人間と接して分かり合うことを半ば諦めており、だからこそ心を持たない空気人形の「のぞみ」をあれだけ愛していたのだという事。

 

そしてそれは自分の都合を他者に押し付けることなく、誰にも迷惑をかけずに身の丈に合った幸せを粛々と噛み締める生き方であり、それはそれで秀雄にとって正しいのではないかと感じました。

 

そのため「のぞみ」がいなくなった時に秀雄が別の空気人形を買ってきたのもごくごく自然なことではないでしょうか。

 

なぜなら秀雄は元々空気人形に「特別性」を求めておらず、ただ自分の愛をもの言わず享受してくれる対象が欲しかっただけなのだから、と僕は考えました。

 

対して「のぞみ」がレンタルビデオ店で出会い恋をした純一は、不意に「のぞみ」の正体が空気人形であることを知っても「人か人形か」で線引きをせず、ただ「のぞみ」を「のぞみ」という唯一無二の存在として受け入れます。

 

また足を滑らせ脚立から落ちた拍子に身体の一部が破け、空気が漏れていく「のぞみ」の体内に再び息を吹き込んだ純一の行為は「のぞみ」の体だけでなく、心をも満たす行為だったのだと思います。 

 

かつて秀雄に入れられた空気が漏れ、その空白を純一が吹き込んでくれた新しい空気が満たしていく。

 

のぞみにとってこの出来事は、人間でいう「過去の恋人との思い出を新しい恋人との時間が塗り替えていく」という過程に近かったのではないでしょうか。

 

自分をただの代用品としてしか見ていなかった秀雄の入れた空気(思い出)を捨て、今の自分をまっすぐ見てくれる純一の空気を受け入れることが、自分が幸せになるために必要なことだとのぞみ自身が理解していったように見えました。

 

そうして自分を見てくれて、愛し、満たしてくれた純一だからこそ、自分にしてくれたのと同様に、体内の空気(過去の苦い思い出)を外に出し、新たに自分の息(自分と過ごす時間)を吹き入れ、それを塗り替えてあげようと思い、のぞみは純一に刃を突き立てたのだと思います。

 

そして空気人形の製造技師役のオダギリジョーが発した「ちゃんと愛された人形は表情に出る」という旨の言葉から、ラストシーンで過食症の女性がゴミ捨て場ののぞみを見て言った「キレイ」という一言で、純一は自分の命が尽きる最後の瞬間までのぞみを愛していたことが分かります。

 

それでもなお、拒絶しようと思えば簡単に払いのけられたであろう軽い空気人形ののぞみの刃を純一は拒もうとせず、その意図を汲み取った上で受け入れたのではないかと思います。

 

そして願わくば人間の体でありながらそののぞみの刃と吐息を全て受け入れ、ちゃんと過去を精算した身体でのぞみと愛し合っていきたかったのではないかと。

 

しかしその願いが叶うことはなく、途中で出血多量で息絶えてしまったのではないかと。

 

もちろんそもそもファンタジー要素が強い設定なので、一から十まで真面目に考察するのも少し奇妙な感じを覚えますが、一見恐ろしい最後ののぞみの行動も「自分がしてもらって嬉しかったことを相手にもしてあげたい」という純粋な好意からきたものと考えると、とても納得がいくように感じます。

 

対してそれを命の限界まで受け入れ続けた純一も、その儀式を乗り越えれば、空気人形であるのぞみと本当の意味で対等に付き合っていけると思ったのではないでしょうか。

 

この作品を見て僕は、自分にとって特別だと感じた相手に対して「自分も相手の特別になりたい」と思う感情は、とても人間的であると同時に少し危険な要素も含んでいるように思いました。

 

上記の通り「与えてもらったら返したくなる」というのは自然な流れですが、その順序が無意識のうちにこじれ、「見返りを得るために一方的に与える」という事になると、それは単なる気持ちの押し付けではないでしょうか。

 

きっとのぞみも、代用品としての振舞いを求めてきた秀雄や、性的対象として見てきた店長と違い、はじめから何の見返りも求めずただ真っ直ぐ自分を見てくれた純一だからこそ、自分自身の素直な気持ちを吐露することができたし、その結果好きになれたのだと思います。

 

改めて「人が誰かの特別になるということ」について深く考えさせられた綺麗な作品でした。

 

 さいごに

 

さて、いかがでしたでしょうか。

 

まぁそもそも「お前が恋愛語るなんて1000年早いわ」と人に言われる前に自分で思いながら書いた当ブログでしたが、ぼーっとしてるうちに年も変わっちまった事ですし、たまにはこういう柄でもないことするのもアリなんじゃないかと思います。

 

変にドルヲタやってるとどうにも空き時間の使い方がヲタ活に偏ってしまいがちな気がしますが、時にはこうしてヲタ活を軸に視点をズラして、興味の幅を広げていく事も面白いのではないでしょうか。

 

僕は本年も引き続き、浅く広くで興味のセンサーをブンブン振っていく予定なので、お時間ある際にお付き合いいただければ幸いです。

 

また映画については知識浅いなりに感想トークとかできたら嬉しいので何卒よろしくお願いします!

 

それではこれにて終わります。

新年一発目のブログありがとうございました。

お粗末!

 

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