シングルボーイ下位時代

しょっぱいドルヲタが細々と喋ります

【レポブログ】クマちゃんクロちゃんヌュちゃん【2020.08.20】

2020年8月20日、渋谷WWWにてライブイベント『クマちゃんクロちゃんヌュちゃん』が開催された。

 

 

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現状こうしたライブイベントは、昨今の情勢に鑑み、本来の会場キャパより大幅に人数を絞っての動員を強いられている。

 

 

 

そのためこのイベントに限らず、最近はこうしたライブの参加チケットが以前の先着制から抽選制に切り替わっていることが多く、その倍率も上記の理由から高くなっていることが一般的だ。

 

 

 

なので最近は「どれだけ熱量を持って時間や金銭を割こうとも、抽選にハズれるだけで好きな演者のライブに参加できない」というなかなか酷な状況が続いている。

 

 

 

そのため、自粛期間も明けて観客を入れてのライブが徐々に復活してきたはいいものの、こうした状況により「数字に表れない水面下で、どんどんファン側の熱量が失われていくのでは」という危惧が一ファンとしての僕にもある。

 

 

 

そんな折、上記の通りチケット抽選に当たり、ありがたいことに参加できた本ライブが素晴らしく良かったため、その感動を記そうと久々に「ライブレポ」という形式で拙い筆を執った。

 

 

 

昨今の情勢の難しさはとりわけショービジネスに携わる方々により多くの試練を与えたように感じるが、そうした苦難にあっても決して歩みを止めず、エンタメの最前線で戦い続ける人達がいることが、本記事から少しでも伝われば幸いに思う。

 

 

 

「5G時代」と言われる情報化の現代、映像・音楽といった一次データの共有速度が際限なく上がり続ける一方で、こうした個人の鈍重な感想や解釈にこそ、人を動かしうる情熱が宿るものと信じたい。

 

 

 

引き続き油断できない日々が続くものの、今これを読んでくれている貴方にとって、この文章が少しでも未来の楽しいことをイメージする一助となれば嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

【一番手】『nuance』 

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割と安直に出演3グループの名前から取られた本イベント名「クマちゃんクロちゃんヌュちゃん」。

 

そんなこのライブの一番手は「ヌュちゃん」こと『nuance(ヌュアンス)』。

 

 

 

混迷を極める2020年現在のアイドルシーンを、パッと見ユルく、その実巧みに泳ぎ続け、音楽・歌詞・衣装・舞台演出…etcと、知れば知るほどハイセンス。

 

 

 

更に、微に入り細に入りどこまでもウィットに富んだ遊び心を忘れない、懐かしさと新しさが同居した不思議な魅力を有する唯一無二のグループ、というのが個人的な印象。

 

 

 

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参考動画:配信ワンマンライブ(2020年5月)

 

 

 

 

また詳しくは後述するが、他2グループの所属事務所ekomsの主催イベントであるこの合同ライブに、唯一のゲストとして招待されたnuance。

 

 

 

そんなnuanceのライブはしとやかなイントロが印象的な『雨粒』からスタート。

 

連日の酷暑を忘れさせる優しい開幕から一転、雨脚の強まりを思わせる急展開で情感を増す音楽に、開始早々に引き込まれる客席。

 

歌詞にリンクした演劇調の振付から、静かに、そして着実にnuanceの世界観が構築されていく。

 

続いて歌われたのは最近披露されたばかりの新曲『sekisyo』。

 

柔らかなミドルテンポと歌詞の行間に織り込まれた、密かな恋慕の情が静かに流れ込む。

 

その優しい空気感が、表題の通り夕照を思わせる暖かな照明とともに会場を包む。

 

曖昧で煮え切らない関係性を思わせる歌詞に差し込まれる「関所」というワードは、一度超えたら戻ることのできない、二人にとっての分岐点のような趣を感じさせた。

 

やはりローマ字のタイトルは、掛け言葉を考察する余白があり受け手として楽しい。

 

また「日々の積み重ねで少しずつ縮まっていく距離」と解釈すれば、「積小為大」からの「sekisyo」も含まれているのかもしれない。

 

そうして『sekisyo』の物憂げなアウトロが引いて次に流れだしたのは、打って変わってnuanceお馴染みのナンバー『tomodachi』。

 

軽妙なリズムに乗って歌われる「友達になりたいです」「仲良しになってください」というストレートな好意がファンに向かって真っすぐ届くこの曲。

 

この日は感染防止の観点から観客はマスク着用かつコール禁止となっていたものの、何の示し合わせもなく、当たり前のようにヌューメン達の息の合った手拍子が入る。

 

その結果、曲中もコールは一切出ていないものの、不思議と4人を盛り立てるヌューメン達の歓声が聞こえるような錯覚に陥った。

 

それは4人とこの楽曲、そしてそれを愛するヌューメン達がこれまで長い時間をかけて築き上げてきた信頼関係の表れであり、この空間そのものが、まさに「tomodachi」を体現した一つの作品として仕上がっているなと感じた。

 

そうして右肩上がりに増す会場の熱量の後押しを受け、続いて流れてきたのは『sanzan』。

 

とりとめのない会話のような軽い空気を纏って進む反面、言葉の裏に隠された真剣な気持ちが見え隠れする、不思議な二面性が魅力的な本曲。

 

照れ隠しでおどけるように、手のひらを顔の上下にかざす振付も可愛らしく、こうしてnuance独自のユルく巧みな行進は、会場とピッタリ歩調を合わせたまま絶えずハッピーに続いていく。

 

次いでアンニュイなイントロが特徴的な『ハーバームーン』が流れ始め、ライブは静かにギアを上げる。

 

ホームである横浜の風景を思わせる歌詞に乗せ、軽快なラップと囁くような歌唱のアンバランスな調和が映える。

 

終盤、軽やかなピアノが跳ねる裏でmisakiさんの活気ある煽りが入り、曲の輪郭を更に色濃くする。

 

そうして終始壇上で交錯する鋭利な遊び心。

 

同系統に揃えられたスカートの裾はターンの度に等しく舞い、対して異なる4人の髪型は、暗闇の中でも判別の効く個々人のシルエットを主張する。

 

元はバラバラだった人と光と音楽が、ステージの上で、さも当然のごとく高純度に融和する。

 

そこにあるのは「凄味すら感じさせない」という凄味。

その貫禄と親しみの不思議なバランスが、客席の熱を更に上げていく。

 

 いよいよライブを決定付ける終盤に差し掛かり、続いて流れたのはまたも最近披露された新曲『悲しみダンス』。

 

ここまでの無邪気な少女のような表情から一転、淑女の憂いを思わせる艶やかな空気が場を包む。

 

赤や紫の照明は、さながらネオンのように雰囲気あるステージを作り出す。

 

その鮮やかな背景の中に、やはりどこまでも自然に溶け込む4人。

 

微笑むように踊り、嘆くように歌う。

 

短編映画を見ているような感傷に浸りながら、ここにきて更に多彩な表情を見せるnuanceの引き出しの多さに舌を巻いた。

 

そうして歌謡曲的なムードある展開から一転、続いて流れたのは『ゆれてみて』。

 

ここで4人が今日初めて、ステージ後方に設置していた椅子を手に取り移動させる。

 

その物言わぬバイプレーヤーは静かに互い違いに並べられ、ステージの奥行を強調するマーカーとなりながら、他方で4人の表現をフォローする唯一無二のオブジェに早変わりする。

 

そうして組まれた即席のセットの中、ゆったりとしたメロディが流れ始め、まるで水族館を歩くような没入感に包まれる客席。

 

体が、視線が、意識が、時間が、曲名の通り静かに揺れる。

 

順に持ち回るソロパートの裏では、各人がそれぞれ違ったシーンを演じるような動作を見せ、散りばめられた回想の断片のような気配を演出する。

 

抑揚、緩急、硬軟自在。

 

そんな言葉じゃ足りない程に、どこまでも自由な表現の渦に客席を飲み込んだnuanceは、そうして密かに息を整えるような余裕を見せたのち、待ち焦がれた最高のフィナーレに向かいにわかに歩調を早めた。

 

次いで流れた飄々としたイントロで、音もなく一斉に沸き立つ会場。

それは世にも幸福な幕引きの合図として、最終曲『ミライサーカス』の始まりを告げた。

 

現状の代表曲であり、もはやnuanceの代名詞ともいえるこの曲。

 

開始早々、文字通り人を食ったようなファンタジックな歌詞が音に乗り現実に溶け出し、メロからサビに向かうに連れ「人間」の俯瞰視を極上のエンタメに昇華していく。

 

「未来」と「サーカス」という未知数の可能性を思わせる単語が掛け合わされ、想像が体を超えていくような唯一無二の高揚の波に飲み込まれる。

 

気付けば会場全体が曲に合わせて踊りながら、各々が体を揺らして音楽を感じており、その窮屈に覆われたマスクの下に、心からの笑顔が広がっているであろうことは想像に難くなかった。

 

こうしてnuanceのライブはどこまでも奔放かつ伸び伸びと展開し、そのキラキラした遊び心とギャップの効いた表現の振り幅に、客席は終始魅了されっぱなしだった。

 

この日披露した新曲2曲を含むミニアルバムの音源が先日サブスクで解禁され、また10月にはグループ史上最大規模のワンマンライブとして、ホームである神奈川・横浜のKT Zepp Yokohamaでのライブも決まっているnuance。俄然期待しかない。

 

かくしてこの贅沢スリーマンの強烈すぎるトップバッターはその役割を十二分に果たし、笑顔でステージを後にした。

 

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【二番手】『クマリデパート』

 

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nuanceが作り出した色濃い興奮の冷めやらぬ中、しばしの換気時間を挟んで次に登場したのは「クマちゃん」こと「クマリデパート」。

 

そんなクマリデパートは、本日主催のクロスノエシスにとって同事務所の先輩グループに当たる。

 

7月にはイベント自粛の影響で長らく延期となっていた新メンバーのお披露目公演を成功させ、グループ活動5年目にして新体制としてのリスタートを切ったばかり、と何かと話題に事欠かないクマリ。

 

ライブについて言えば、新メンバー2名の加入に伴い、振付と歌割を変更した現体制曲としてのレパートリーは決してまだ多くなく、ゆえに現時点で組みうるセットリストの幅も狭いと言わざるを得ない。

 

しかしその反面、日々試行錯誤を繰り返し徐々に自信をつけていく新メンバー2人と、新たな環境の中で先輩としての矜持を胸に躍動する既存メンバー4人の表情は、一回一回のライブで恐ろしいまでの変貌を見せている。

 

逆に言えば、その成長や変化をリアルタイムで追う事ができるのは今このタイミングしかないので、僕自身、ライブ毎に発見が多く特に見逃せない時期であると感じながら追っている。

 

そんなクマリデパートのライブは名刺代わりのoverture「おいでよ!クマリデパート」からスタート。

 

新たな個性が加わった自慢の新体制で、颯爽と壇上に現れる6人。

 

笑顔で指差しの雨を降らせ客席の耳目を一気に集めたのち、ライブ本編の一曲目として流れたのは、鉄板のキラーチューン『シャダーイクン』。

 

 

ポップでパンクでちょいウェットな曲の個性はそのままに、豪快かつ緻密な振付とフォーメーション移動は、4人版から6人版へのアップデートを経て、更にその世界観を深めている。

 

要所要所に原型の振付を残しつつ、そこへ新たなピースを繋げるように新メンバーとの連携が織り交ざる。

 

曲名の由来であるシャインとダーク同様に、グループとしての継承と革新が高次元で融合する。

 

そうして慌ただしく右往左往するカラフルな個性は音色とシンクロし、混ざり合った「楽しい」と「可愛い」はクマリ独自の熱量を生み出す。

 

早くも場の空気を自分達の色に染めた6人はアウトロ後、息つく間もなく二曲目『サクラになっちゃうよ!』へ。

 

本来であれば、満開の桜の中で満を持してのリリースとなるはずだったこの曲。

 

しかし本年の状況からその他多数の例に漏れず、イベント自粛の影響により華々しい誕生を迎えることは叶わなかった。

 

かくして始めこそやや悔いの残るスタートを切った本曲も、披露の場がなかった時期にメンバーと共に力を蓄え、今はこうして華々しい絢爛の様相を呈している。

 

そこには四者四様に向上した既存メンバーのスキルに加え、グループに新たな色をもたらした新メンバー2人の蒼い個性が光る。

 

そんなステージを見ていると「目を引くポイントが多数あり、視点が定められない」という、幸せな悩みが頭をよぎる。

 

数多の花びらの中にただの一つさえ同じ形はあり得ないのと同様に、注目する箇所や視点の角度といったライブの見方の数だけ、違った美しさを提示する本曲。

 

それはさながら満開の桜のようでもあり、予期せぬ事態から生じた数ヶ月間のタイムラグを取り戻すように、誇らしげに狂い咲く6人のパフォーマンスが美しかった。

 

そうして万全の滑り出しを見たライブはそのまま中間MCに入り、つかの間の休息へ。

 

普段このMCは「ご来店ありがとうございます!クマリデパートです!」というお決まりのご挨拶に始まり、メンバー個々人の自己紹介、そして次の曲を振ってから再度ライブに戻る…という流れが定番の型となっている。

 

ただこの中間MC、全体の構成は変わらないまでも、ここ数ヶ月で明確な変化が起きている。

 

というのも、新メンバーの加入に合わせるように、個々人の自己紹介に割かれる時間と熱量が明らかに増したのだ。

 

それは明け透けに邪推すれば、上記の通りまだ披露できる曲数が少ないため、あくまで時間稼ぎとして長く喋っている、という側面も少なからずあるだろう。

 

しかしそれ以上に強く感じるのは、「今後は偶然その日初めてライブを見てくれたような人が、6人に増えたグループの中から気になったメンバーをその場でちゃんと認識できるよう、一人一人の個性を今まで以上に強く打ち出さないといけない」という向上心だった。

 

中でも先輩メンバー4人には、「後輩2人が個性を発揮しやすいスペースを作る」という意味でも、以前より個人としての色味のある動きや主張が求められているのではないかと思う。

 

そんな変化もあってか、新メンバー2人の個性的かつ対照的なキャラクターも含め、今のクマリの中間MCは、以前とは比較にならないほどグループや個々人のカラーが伝わりやすいようにブラッシュアップされており、そうしたライブ外のステージングにも工夫と努力が見られる。

 

こうした細かい変化も含め、少しずつグループ全体が新しく、そしてより良い方向へと進化していく現象の一つ一つが「新メンバー加入」という伝統的かつ最大のカンフル剤のもたらす何よりの効果なのだと実感をもって知る。

 

 そうして密かに感慨深く、どこまでも微笑ましい中間MCを終え、ライブは6人体制の初シングルとなる新曲「SUN百6じゅ~GO!日ッテ☆」へ。

 

タイトル表記の印象そのままに、スパークする高揚感と溢れる情報量が印象的なこの曲。

 

新体制として一から全てを作り上げた目新しさに溢れつつも、グループ初期のシンボル的な一曲「二十四時間四六時中」の延長線上を思わせるタイトル設定を、体制の刷新という他でもないこのタイミングに持ってくる心意気とセンスがニクい。

 

ステージ上では新体制6人の為に作られた振付でメンバー全員が躍動し、目まぐるしく形を変える緻密なフォーメーション移動に合わせ、上手から下手、前方から後方まで、客席全体に隙間なく笑顔を届けたクマリ。

 

最後は「アルティメットウェポン!」という特徴的なフレーズで曲を締め、代わるように流れてきたムードあるイントロが次曲『極LOVE浄土』の開始を告げる。

 

ハロプロ創世記を支えた伝説的コンポーザー・ダンス☆マンによる編曲の妙が生きる、一聴してディスコ、一見してミラーボールな本曲が、色鮮やかな光の雨と相まって会場の空気を一気に変えていく。

 

 

可愛い顔で多彩な変化球を投げ分ける技巧派のクマリが完全に場を掌握し、観客は6人の先導に従い音の海を奔放に泳ぐ。

 

時代もブームもトレンドも、全てを超越して炸裂する純アイドル産・令和ファンク。

 

また聞き所の一つである間奏のトランペットソロでは、最近新たなパターンが追加され、日によって音色のうねりが変わるという心憎い遊び心を見せる。

 

そして終盤、グループの歌姫フウカちゃんによる圧巻の落ちサビソロを超えてたどり着くのは、6人全員がバラバラのスタイルで曲に乗るエキセントリックな自由空間。

 

「静止・等倍速・減速・加速」という旧体制版のラインナップを見ても相当な情報量だったが、そこへ更に新メンバー2人による「前後入替」と「上下反転」が加わり、時制の枠を出て東西南北を超え、ついに天地創造の神々しさまで兼ね備えた極上のカオスが、見る者全てを魅了する。

 

 そうしてまばゆい極楽の宇宙の漂った数分ののち、一転して切ない恋心を歌ったウェットな新曲『ゴイリョクタラズ』へ。

 

全体的に明るく楽しいものの多いクマリの楽曲群の中で、数少ない影のある作品の一つである本曲。

 

そのためライブでは、他の曲では見られないようなメンバーの表情が随所に光り、まるで別人のような印象に息を飲み、その表現に見惚れる。

 

これまで主にボーカル面からグループを支えてきた歌姫フウカちゃんの隣に、同じく歌を評価されて加入の決まった新メンバーの七瀬マナちゃんが凛々しく並び立つ。

 

また初期メンバーの優雨ナコちゃんと新メンバーの山乃メイちゃんという対照的な立場の二人が儚げな斉唱で曲に抑揚をもたらし、更にかつての姿からは想像のつかない成長を見せた小田アヤネちゃんは初のダンスソロを任され、間奏でその存在感を強く主張する。

 

次いでたどり着く曲の心臓・落ちサビでは、幻想的なスポットライトの中心で歌姫2人による珠玉のリレーが展開され、そうして大切に紡がれた歌のバトンは、最後にリーダーである早桜ニコちゃんの手に渡る。

 

誤解を恐れず言えば、歌唱面の完成度だけを考慮すれば、歌姫2人にこの落ちサビを任せる方が無難と言えば無難なのかもしれない。

 

だがそうした理屈を超えた情緒の部分で、新体制6人でリスタートを切る今のクマリの裏の代表曲のその中心に、必ずその存在がなければいけない全ての象徴としての役割を果たせるのは、初期メンバーでありリーダーを務める早桜ニコちゃんを除いて一人もいないのだと、ステージを見て本能的に直感する。

 

表情、所作、佇まい。

 

本人自身がグループの歴史とイコールであると言ってもいいような、その存在感の説得力に圧倒される。

 

そうして6人全員のエモーショナルなユニゾンが綺麗な旋律を奏でたその先で、早桜ニコちゃん・楓フウカちゃん・七瀬マナちゃんという、初期/二期/三期それぞれの代表ともいえる三者の美しい斉唱で幕を閉じる本曲。

 

活動から5年目を数えるグループの歴史の中で、各年代の各体制で培ってきた様々な魅力が高次元で融合し、その全てが余すところなく凝縮されたような一曲に、会場には幸せな余韻が後を引いた。

 

そしてその多幸感に満ちたライブを締めくくるに相応しい、突き抜けて明るいイントロが流れ出す。

 

異例の事態で季節感のない夏の輪郭を縁取るように、最終曲『サマーニッポン夏サマー』が朗らかに始まった。

 

アドリブ・顔芸・小芝居・指差し…と、なんでもありのハチャメチャなライブが、たった一ヶ月じゃ味わい切れない夏休みのワクワクを思わせる。

 

コール禁止の縛りこそあれ、思い思いに盛り上がる客席と張り合うように、曲が進むにつれて「楽しい!」のギアを更に上げていく6人。

 

新体制版として再音源化された「∞summer ver」のアレンジそのままに、終わりと思いきや終わらない…からの終わり…と思いきや、まだ終わらない!といった、「いつまでも続いて欲しい」という夏らしい子供心あふれるアウトロを、最後の最後まで堪能する会場。

 

そうした無邪気で楽しい夏特有の空気感に包まれつつ、どこか来夏への想いも馳せながら、クマリデパートのライブは突き抜けた楽しさと賑やかさの中で、これ以上ない完走を遂げた。

 

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【三番手】『クロスノエシス』 

 

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参考動画:配信ワンマンライブ(2020年5月)

 

かくしてイベントは2/3が終了し、あとは大トリにしてこの日の主催グループでもあるクロスノエシスの出番を残すのみとなった。

 

またライブ本編について話す前に少しだけ、このイベントに至るまでのグループの経緯について触れておきたい。

 

というのも、そもそもこの3マンは、本来同日程・同会場にて開催されるはずであったクロスノエシスの2ndワンマンが、昨今の情勢により再延期となってしまったことを受けての代替公演として行われた。

 

幸いワンマン自体は再延期となり、企画そのものが立ち消えになる最悪の事態は現時点では避けられている。

 

しかし、思えば昨2019年末に行われた1stワンマンライブでは、直前にメンバーの脱退が発表され、急転直下のドタバタを経て、急遽卒業公演を兼ねる形での開催となった。

 

実際このライブ自体はなんとか無事に終わった反面、今後に向けた躍進の節目として前向きな日になるであろうと予想していたファン側としては、やや寝耳に水といった印象が拭い去れないものとなった。

 

その数ヶ月後、2020年2月に新メンバー2名の加入があり、計5名となった新制クロスノエシス

 

ほどなくして、その新体制で臨む2ndワンマンライブの開催発表があり、先述した1stへのリベンジの意味も込め、名実ともにリスタートを切るグループの名刺代わりとなるワンマンにしようと、メンバー・ファン共に勇ましく気炎を吐いた。

 

しかしそんな折に起こったのがこのコロナ禍である。

 

結果、上記の通り2ndワンマンは延期を余儀なくされ、更にそうして延期した先の日程でも、状況的に当初予定していた形での開催が難しいという事になり、やむなく再延期となった…というのが、これまでの大まかな経緯である。

 

言葉を選ばずに言えば、「不遇」や「多難」といった陳腐な表現では足りぬほど、その歩みは常に逆風に晒されてきたように思う。

 

しかし一ファンとしての希望的観測で言うならば、「他のグループより短期間に多くの苦難に見舞われた今のクロノスだからこそ、今後より強く美しく進化できるのでは」という期待をどうしても抱いてしまう。

 

そうして迎えた代替公演、事務所内外からの心強い共演者の後に大トリとして上がるステージで、今のクロスノエシスが何を見せてくれるのか。

 

そんな高揚に包まれた独特の緊張感の中で、来るべき時を今か今かと待っていると、不意に会場が静まり返った直後、いつもの登場SEが流れた。

 

次いで静かに壇上に上がるメンバー。

 

そこでふとある事に気付く。

 

微かに生まれた推測は、照明が差し暗闇が明けるに連れゆっくりと確信に変わる。

 

現れた5人は新たな衣装を纏っていた。

 

初めて見るクロスノエシスを前に、無言で息を飲む客席。

 

「これから何を見せてくれるのか」

 

俄然高まる期待と高揚の入り混じる空気の中、見知らぬイントロが平然と鳴り響く。

 

突如始まったのは、この日初披露の新曲『VENOM』。

 

清廉で素朴な登場SEからは予想もつかない、挑発的な音色が場を染める。

 

初めて見る姿と初めて聞く楽曲に、否が応にも引き込まれる会場。

 

更に曲が進めば進むほど、この『VENOM』にはこれまでのクロノス楽曲に無かった色を鮮烈に主張するような存在感を覚えた。

 

というのも、個々の楽曲が持つ色彩や影の濃淡こそ違えど、クロノスの曲には共通した「潔さ」というか、「澄んだ」印象があるように個人的には思っていた。

 

しかしこの『VENOM』はそうした印象とは対照的に、一聴して妖しく「濁る」ようなイメージがあった。

 

それは衣装同様、本来この日迎えるはずだった華々しい節目に向けて用意を進めてきた新境地ともいえる、新しいアプローチだったようにも思うし、同時に、そこに感じた妖しく光る濁りのエッセンスには、これまでに嘗めた苦汁の数々に打ちのめされ腐るのではなく、むしろその逆に、流れ込む負の感情を拒まず受け入れ、新しい強味として昇華させる反骨的な趣すら感じさせた。

 

加えて、これまで感情描写や心象風景など、やや抽象的であり俯瞰視の強い歌詞が多かった既存曲とは対照的に、「君に噛みついた刃(※)」「流れる血が混ざりあい、君は僕に染まりだす(※)」といった、徹底して生々しい人間の「生」が力強く歌われる本曲。

 

そこには自分達の音楽やライブに関して「受け入れてもらえるだろうか」という弱気で受け身な姿勢を脱却し、「クロノスの表現に触れた相手を強制的に虜にする」という意気すら感じ、そこから転じて「腕を掴み、牙を突き立て、毒を流し込み、意のままに染め上げる」といったニュアンスの歌詞世界が展開されているのではと勝手な推測を巡らせた。

 

(※歌詞は聞こえたまま引用しているので不備があるかもしれません。あらかじめご了承ください。)

 

こうしてタイトルの通り毒々しい新たな一面を見せたクロノスは、加速感を緩めることなく攻勢をかける。

 

呆然とする客席に、別世界との交信を思わせる神秘的なイントロが鳴り響き、そのままグループの音楽性を象徴する現状の代表曲『インカーネイション』が流れ始める。

 

先ほどの『VENOM』とは対照的に、神々の視点から人間を俯瞰するような歌詞が紡がれ、次第に壇上のメンバーが遠くに感じ始める。

 

嵐の前の静けさのような歌い出しから荘厳な前奏へ、そして再び凪を見るようなAメロを経てBメロへ差し掛かると、大いなる受肉を歌う詞のままに、眼前に迫った最高の瞬間が構築されていく。

 

そうしてたどり着くサビは、唸りを上げて世に降り立つ力強い生命の明滅を感じさせる。

 

また曲中で歌われる人間への俯瞰視は、演者としてのメンバーがステージ上でだけ特別な存在に変わることの隠喩であるように、眼下の客席に決別の一線を引く行為にも思える。

 

どんなに練度を高めようと、出来合いの型を提示するのではなく、常に過程の中にこそ完成を見るという歪な魅力を有した本曲。

 

アウトロの引いた余韻には、未来のクロノスの進化と変貌に増々想いを馳せてしまうような唯一無二の風格が漂っていた。

 

そうした優しい終幕から一転、突き放すような冷たく美しい音色が次曲『残夜』の始まりを告げる。

 

期待と不安の入り混じる繊細な情感を、夜と朝の狭間に重ねた雰囲気あるバラードの本曲。

 

耽美でありながら弱くはなく、気丈に見せながらも強くはない。

 

陰陽のコントラストとその絶妙なバランスが、壇上で優雅に映えていた。

 

またしても突き放すようでありながら、イントロとは対極に前を向いた気配のあるアウトロの後、歌詞の風景が地続きとなるように、次曲『薄明』のイントロが始まる。

 

『残夜』とは対照的に、乱された直情に悶えるような激しいダンスパートから始まる本曲。

 

緩急ある抑揚の中でメンバー5人が悩み、苦しみ、漂い歩くような振付は、表題『薄明』の通り、一縷の望みを手にするまでの暗く息苦しい過程を描いているようにも見えた。

 

そうして再度ステージに熱をもたらした後、一転して軽やかなイントロが流れ始める。

 

乾いた哀愁を薄笑いに忍ばせるようなその風合いは、忘れもしない自粛期間中に5人体制初の楽曲として披露された『VOICE』のそれに他ならなかった。

 

新メンバーとして加入した2人の意思表明的な内容や、それを迎えた既存メンバー3人の視点での今改めての心境など、表題の通り強いメッセージ性が音を牽引する本曲。

 

そこには過去でも未来でもない今のクロノスが凝縮されており、大いなる飛躍を前に、自らの現在地を丁寧に確認するような趣を感じさせる。

 

「巡り合った月の下」という歌詞からは、グループのお披露目および新体制としての初公演を行ったライブハウス「青山月見ル君想フ」が連想され、不思議な縁の元に集まった5人の連関を噛み締めるような雰囲気がある。

 

そんな『VOICE』は当然「クロノスがファンに声を届ける」という意味合いを表のテーマとして据えているようでありながら、その実、メンバー同士が互いの声をよく聞き、その心情への理解を深め合い、再度一枚岩としてのグループの強味を自ら確かめるような裏テーマがあるのではないかと思った。

 

それはさながらメンバー自らグループを鼓舞する賛歌のようでもあり、終盤で控えめに振りかざされた5人の拳が、僕には見た目以上に勇ましく映った。

 

そうして『VOICE』も終わり、ついにライブは最終曲『MY LAST DANCE』へ。

 

「終わり」と「つづき」という相反する二側面の意味を持つ「LAST」を冠し、「ステージを去る者」と「新たにそこに上がる者」という立場の異なる二者の交わりを、愛情深くドラマチックに描いているように感じる本曲。

 

その二者は決して「現時点での誰と誰」という話だけでなく、今日こうして壇上で輝いているメンバーにとっても、「今の自分」と「いつかステージを降りる日の自分」という異なる時間軸を介した二者という意味合いもあるのかもしれない。

 

それは未来の自分に向けて、ありのままの今の自分を見せる自己開示のようであり、逆に「不器用な夜をずっと抱きしめて」という歌詞には、過去の自分に向けて、かつての失敗や我が身の拙さを全て許容し、受け入れて進むような強さが滲む。

 

要所要所に散りばめられた手を振る振付は、その先に誰を思い描いているのかを想像させ、そんな5人それぞれに角度の異なる視線を印象付けながら、この『MY LAST DANCE』は唐突に終わる。

 

それは終幕や完結というよりむしろ、先の見えない読みかけの長編小説に栞を挟むような趣があり、今日この日のライブが終わってしまう寂しさよりも、次回を楽しみに待ちながら、今後も続いていくクロスノエシスの足跡を追える喜びと期待感を強く感じさせた。

 

こうしてライブが終わり、前2グループが上げきったハードルをスッと跳んで見せたクロノス。

 

イベントがワンマン延期に伴う代替公演となってしまったことは素直に残念だったものの、この日、このタイミング、この出演者でしか成立し得ない、素晴らしい時間だったことが、僕のここまでの過剰な文字数で少しでも伝わっていたら幸いです。

 

さいごに

 

毎回言っている気がする言い訳をすると、ここまでブログが長くなる予定は全くありませんでした。

 

ただ、いざライブを思い出しながら書き始めると、褒めたい・書きたい・伝えたいポイントが無限に浮かび上がってきてしまい、結果ここまでご覧いただいたように、当日披露された全曲と百人組手することと相成りました。

 

ホントはもっとカジュアルな文量で芯食った書き方したいんですけどね。

人生なかなか上手くいきませんね。

 

ただ、こうして過剰な文量を費やして誰かに魅力を伝えたいと思えるコンテンツや人々に、リアルタイムで触れている我が身を思うと、それは本当に幸せなことだと思います。

 

色々と不安の多い世の中なので、暗いニュースや後ろ向きな話題を集めることは残念ながらとてもラクな現状ですが、対して自分の人生を明るく楽しくしてくれる何かを追い求める為の労力については、いつまでも惜しみなく費やしていきたいと感じます。

 

同時に、自分の人生にそうした明るく楽しい時間をもたらしてくれる、エンタメの世界に携わる方々一人一人への感謝と敬意を再確認しつつ、その炎が決して消えることのないよう、その創作や表現を楽しんで受け取りつつ、微力ながら何かしらのお手伝いができれば幸いに思います。

 

それでは、この抽象的でクソ長い文章を飽きずにここまで読んでくれたイマジン溢れる暇人の皆様にも、照れ隠しの微disと最大限の感謝を述べつつ、このブログを大雑把に締めようと思います。

 

お付き合いありがとうございました!

お粗末!

 

 

 

 

 

 

P.S.

ちなみに僕が最近大注目している、クマリデパート新メンバーの山乃メイちゃんを、何卒!ぁ、何卒!!ひとつ!!!よろしくお願いいたします!!!

 

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